【3泊4日、道東。 20191020-23】2日目 網走監獄、天都山展望台・オホーツク流氷館、釧網本線。
寒さで目が覚めた。
昨晩、ストーブを消して眠りについたからだ。
10月の北海道を、正直ナメていた。
そういえば、俺はいま網走にいるのか。
壁のコンセントから伸びた充電ケーブルに挿さっているスマホに手を伸ばし、時刻を確認する。
7時過ぎ。すこし寝坊をしてしまった。
アラームは6時半に設定していたはずだから、それすら気付かずに熟睡していたことになる。
寝足りない。
眠気と寒さが体を布団へ引きずり込もうとするが、なんとか必死に堪えて、洗面所へ向かおうとする。
立ち上がると、ジーパンにシャツという姿だった。
部屋着を忘れて仕方なくこの格好で寝たのだ。
少しずつ頭がはっきりしてきた。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
冷たい水で意識をはっきりとさせながら、昨日のことをぼんやりと思い出す。
他室の宿泊客はほとんどチェックアウトを済ませたみたいだ。
廊下から開け放たれたドア越しに他の客室の様子がわかる。
部屋に戻り、チェックイン時に受け取った朝食をいただく。
「ランプパン」と呼ばれている。
いわゆるレーズンパン。甘くて美味しい。レーズンが入っていた。
部屋にあるテレビを点けて同時にスマホで通知を確認する。
ランプパンを食べ終わる頃には時刻は8時を過ぎていた。
慌ててチェックアウトの準備をする。少しゆっくりしすぎた。
泊まったのは2階の客室で、1階へ降りると昨晩のチェックインのときと同じ方がいた。
チェックアウトを申し出て、部屋の鍵を返却した。
結局、滞在時間は10時間もなかった。もう少しゆっくりしたかったが。
外へ出ると、気持ちのいい晴れ模様だった。空気が美味しい。
宿のすぐとなりは山だった。天都山というらしい。
昨日の夜渡った第四種踏切をまた渡る。
真っ暗で何も見えなかった昨晩だが、朝になってようやく全貌を眺めることができた。
少し遠くに網走駅が見える。右手前には車庫がある。
渡道して2日目の朝。
この日は網走を観光しようと思っていた。
昨日は朝早く成田から飛行機に乗り(といっても10時のフライトだったが。埼玉から成田は遠いのだ)、休むまもなく新千歳、札幌、旭川、網走と移動してきた。
今日はできるだけ移動はやめて、観光に当てようと思っていた。
網走と聞いてまず思い浮かぶのが『網走監獄』だった。
さしあたっては、網走監獄へ向かうことにしていた。あとの旅程はそれから考える。
いつにもなく、行きあたりばったりだった。
網走監獄へはバスで向かう。バスは網走駅前から出ているため、昨日来た道を戻る。
昨日の夜見たときと同じく、国鉄チックな面構え。
どっしりとレンガ造りの駅舎。
駅前の観光案内所はまだ空いていない。
網走はバスで周遊しようと思っていた。調べたら網走バスというバス会社でフリーパスの販売があるらしい。
観光案内所で購入しようと思っていたが、駅前の東横インでも購入できるらしい。
急いで道を挟んで反対側にある東横インへ向かい、手に入れた。バスの発車まで時間がない。
停留所は駅から歩いて5分ほどのところにあった。ギリギリで間に合った。
バスで10分ほど揺られて着いた。博物館網走監獄。
向かう途中の車内で調べて分かったことだが、“網走刑務所“は『こことは別の場所に実在している実際に使われている刑務所の施設』で、この“博物館網走監獄“は『過去に"網走刑務所"として使われていた建物群を移設したり復元したりした博物館』ということらしい。
つまりは"博物館網走監獄"は"旧網走刑務所"になる。
網走バスに"刑務所前"という停留所があり、危うくそこで降りそうになった。この刑務所前停留所が現在使われている網走刑務所の最寄りだということだ。
チケットカウンターで入場料を支払い、入館する。
博物館内に置かれたニポポ。
これから網走を歩いているとたくさんのニポポを見ることになるが、このとき初めて見た。
網走の民芸品。キモかわいい。
屋外敷地内の展示施設を回るような博物館。
蝋人形がいっぱいいらっしゃった。
他にも、裁判所や味噌蔵、醤油蔵、浴場などがあった。
重要文化財や登録有形文化財の類のものも多く、刑務所の博物館なんて来たことなかったから本当に興味深かった。
中でも最高だったのが、舎房及び中央見張所。
5つの舎房が放射状に伸びている建物。中央に見張所がある。
この舎房に実際に囚人が暮らしていたと考えると恐ろしいが、それよりも美しいと思った。
高い天井から差す光が綺麗だった。囚人も同じことを思っただろうか。
この舎房を見学して、一通り館内を見終えた。
時刻は12時になるところだった。そろそろ次の目的地へいくことにした。
博物館のバス停へ戻る。
せっかくならフリーパスで回れるところにしようと思い、『天都山展望台』と『オホーツク流氷館』へ行くことにした。どちらも同じ建物に入っている。
流氷館には、流氷に関する展示があった。クリオネがいた。初めて見たかもしれない。
流氷を体感できる部屋もあり、氷点下15度で本物の流氷を触ることができた(前シーズンの流氷を持ってきたのか?)。
あとはプロジェクションマッピングとかもあった。
正直、網走監獄がとても印象的だったのでこっちはあまり覚えていない。
展望台に登った。
といってもこのときは写真を撮ることに夢中で、後で気づいたのだが。
旅程の関係で、次のバスまでの間、1時間しか時間が取れなかった。
次に向かったのは、網走刑務所。現在使われているほうだ。
"刑務所前"停留所で下車する。
網走刑務所の前には網走川が流れている。
橋を渡った先の川岸にはまたニポポがいた。
網走刑務所は観光客が来ても見学できる場所ではない。
ただし、受刑者が作成した製品を展示・販売している『刑務所作業製品展示所』がある。
残念ながら臨時休業だった。
ここで先程から紹介しているニポポが購入できるとネットの情報を掴んだのだったが…。
刑務所前でウロウロするわけにも行かないので、そそくさと網走駅へ引き返すことにした。
といってもさっきバスは行ったばかりで、次のバスまでだいぶ時間がある。
刑務所前には網走川が広がっているだけで、川沿いに国道は走っているが調べたところなにもない。
不本意だが徒歩で駅へ向かうことにした。
途中、『大広民芸店』という民芸品を扱うお店に立ち寄った。
民芸品と書かれたこのお店なら『ニポポ』を扱っているのではと思ったからだ。
結論、ニポポは扱っていなかった。
その代わりではないが、『セワ』と呼ばれる人形を購入した。
北方民族のウイルタ族によって作られた木彫りの人形が原型らしい。
ちなみにニポポだが、現在職人の数が減っており、あまり数が流通していないとのこと。(観光協会を経由して購入するしかないらしい?)
柔らかい木でできている『セワ』を壊さないように大事に抱えて、再び網走駅へ歩き出した。
再び、駅前に帰ってきた。流石に疲れ果てていた。
おかしい、今日はゆっくり観光すると思っていたのに。
さらに最後に食べたのが朝のランプパンだったことに気づき、流石にお腹が減っていたので駅前のビクトリアステーションで遅めの昼食を取ることにした。
久しぶりに食事を取って、頭が冴えてきた。
まず、先ほど購入したセワ。
これを持ってこれから旅行を続けることはおそらく無理だろう。
木製で壊れやすい上に、かさばる。このあと郵送することにした。
次に、今後の旅程。
この旅行の計画を立てたとき、3泊4日で道東を回る予定だった。
3泊4日もあれば回れるだろうとフワッフワな考えを持っていたが、それは間違いだったことにいまさら気づいた。
前述した"計画"とは札幌(新千歳)から"右回りで網走、釧路を回るか"もしくは"左回りで釧路、網走を回るか"というレベルの"計画"だった。
つまりほとんど何も考えていなかったのだ。
実際に渡道して時刻表(昨日、旭川で購入した)と顔を合わせてみると、予想以上に時間がない。
もともと今日も網走で1泊する予定であったが、それでは2日後に新千歳には到底満足に到達できない事がわかった(一切観光を無視するのであれば辿り着けるが、観光を含めるとほぼ無理)。
思い切って、今日中に釧路へ到達することにした。
さらに、復路のフライトについて。
往路と同じく復路もPeachを予約していたが、だいぶ早い時間のフライトを取っていた。
この調子だと、やはり時間がない。少しでも北海道にいる時間を遅くしたかった。
スマホでもっと遅く新千歳を発つフライトを見てみると、まだ空席がある。
念の為、遅い時間のフライトへ変更した。
あらかじめ変更手数料無料のプランで申し込んでおいてが、功を奏した。
遅い昼食を済ませると、急いで郵便局へ足を運んだ。次の列車まであまり時間がない。
網走と釧路を結ぶ釧網本線は本数が少ない。なるべく早い時間に釧路に着きたかった。
郵便局は南四条の網走の中心街の方にあった。
(Google Mapを見てみると、駅前にも郵便局があるのになぜそこに行かなかったか不明。行動原理を覚えていない)
無事にセワを郵送し、両手が空いた。駅にとんぼ返りをする。
昨日の夜以来の、網走駅舎に入構する。こんなところに民宿ランプの広告があった。
ようやく、この姿を見ることができた。JR北海道色のキハ40形。
感動した。カッコ良すぎる。
JR北海道色に乗るのは今回が初めてだった。
連結相手はキハ54形。網走からこの2両で運用される。
反対ホームでは、キハ40形同士の分割作業まで見ることができた。
発車ギリギリまでホーム上で写真を撮っていた。
列車はゆっくりと発車して、釧網本線を南下した。
10月の道東は16時を過ぎると日が傾き、17時を過ぎると真っ暗になった。
車内は1つのボックスシートに1人か2人が座るくらいの乗車率だった(と思う)。
高校生が多い印象だった(この日は日曜日と祝日の火曜日に挟まれた平日の月曜日だった)。
途中、知床斜里でキハ40形とキハ54形の分割が行われ、キハ54形のみ1両での運行となった。
知床斜里では20分以上も停車した。
次第に車内から人は減った。
外は真っ暗な釧路平原を走っている。何も見えない。
時々、スマホは圏外を示した。
できれば、釧網本線は明るい時間に乗りたかった。釧路湿原の中を列車が突っ切るのだ。
次に北海道旅行をしたときの楽しみに取っておくことにして、しばらく眠った。
網走から2時間半、釧路に着いた。
現在の時刻は20時前。
今回はゲストハウスに泊まることにした。
駅から繁華街の方向に歩いて10分ほど。
疲れ切っていたのか、チェックイン後にシャワーを浴びて洗濯をしたあと、夕食も食べずにベッドに横になってそのまま眠ってしまった。
列車の中で良さそうな居酒屋を探したり、夜の釧路を楽しむ気満々だったのだが。
幸い、ベッドの近くにはコンセントがあり、無意識でスマホを充電していたため翌朝慌てることはなかった(寝落ちした絶望感はあったが…)。
道東の旅、2日目は釧路で終了。
翌日こそ釧路を観光することになる。
続く
【3泊4日、道東。 20191020-23】1日目 『成田』から『新千歳・札幌』を経由して『旭川・網走』へ
Peach MM585便。
客席は満席だった。
飛行機は、離陸してから日本列島の真上をなぞるように飛んでいた。
機内に持ち込んだ小説も、旅行書もほとんど読めなかった。
せっかく窓側の席を予約したのに、惰眠を貪って空の旅が終わってしまったからだ。
あっという間に本州は見えなくなり、北の大地が見えてきた。
シートベルトの着用サインが点灯し、いよいよ下降するようだ。
目下には紅葉も落葉し始めた冬目前の道央の様子が伺える。
そして、成田から2時間。飛行機は新千歳にほぼ定刻で着陸した。
主翼のちょうど真横あたりに座っていた私が降りれるのは、前の乗客が降りてからになる。
少し時間がかかって、機体から降りた。
ようやく北の大地を踏めると、まず寒さが私を襲った。
成田ではジャケットを着ると暑いくらいで、機内ではシャツ1枚だった。
その温度差に追いやられ、タラップから降りて逃げ込むように迎えのバスに乗り込んだ。
手荷物受取所では預けたリュックサックがすぐに回ってきた。
そしてまず向かったのは階段を降りた先、「JR北海道 新千歳空港駅」だ。
改札横のみどりの窓口には並びもなく、空港ビルに到着して5分と足らず、飛行場内のタラップから降りてから15分もしないで対応してもらえた。
もっと時間のかかるものだと思っていたのだが。
現在12時30分過ぎ。
早速、搭乗券をみどりの窓口に提出して、「ひがし北海道フリーパス」を購入した。
Peachを利用したのも、このきっぷを買うためだった。
詳しいことはJR北海道のページを見ていただきたいが、かんたんに説明すると、LCC航空会社限定の利用で格段に安く北海道を回ることができる企画乗車券だ。
Peachの代わりにAIRDOを使っても同じことができるようだけど、そっちはよく調べていない。(詳細 : AIRDO ひがし北海道フリーパス・きた北海道フリーパス|JR北海道- Hokkaido Railway Company)
さらにU25割が適用され、12680円で購入することができた。
快速エアポートに乗るのは初めてだった。
新千歳空港を利用するのも初めてだった。
――北海道には何度か訪れたことはあったが、そのほとんどは函館だった。
札幌より東へ行ったことがないし、それより北も行ったことがない。
3泊4日の道東旅行。
ひとまず札幌を目指して、列車は新千歳を出発し、南千歳を経由して、千歳線を北上した。
約30分で札幌に到着した。
やはり列車を降りると、とてつもなく寒い。
行きの飛行機はできるだけ身軽にしようと軽装だった。旅先で服を買い足そうと思っていた。
改札階に一度降りて、発車標を見上げる。
まだ旭川行まで時間がある。
近くにあった駅ビルのGAPでセーターを買うことにした。
日曜の札幌駅前は非常に混雑していた。
道を行き交う人々は冬の格好だ。
手短に買い物を済ませ、改札に戻る。
駅弁を買い、暫くすると列車が入線してきた。
初めて乗る列車名、車両。
旭川へは、1時間半ほどの乗車だ。
札幌駅で購入した駅弁を食べながら移動。
これからの車窓は今まで見たことのないものばかりになる。
先程も言ったが、私はまだ札幌より東へ行ったことがない。
3日後、新千歳へ戻ってくるまで、初めての光景の連続になる。
新千歳を降りてから初めて乗る特急列車に揺られながら、破茶滅茶に心を踊らせて、1時間半の移動時間を楽しんだ。
旭川駅に到着した。
トレインシェッドの非常に立派な駅舎だった。雪国らしい。
木彫の柔らかな印象を受ける駅構内。
改札を抜けて、「三浦綾子記念文学館」を徒歩で目指す。
駅舎を出ると、すぐに目に飛び込んできたのが、忠別川とその橋梁。
函館と札幌しか知らなかった私に、北海道の景色が飛び込んできた。
これが北海道かと。まず手始めに旭川駅前に広がる地方都市の広大な風景を目に焼き付けることができた。
なんとも北海道らしいバス停。
辺りは薄暗い。先を急ぐ。
着いた。20分ほど歩いただろうか。
建物は林の入口に建っており、またその林は『氷点』でも描写された見本林だ。
三浦綾子の作品に触れたのは、大学3年、4年のころだった。
母の影響で『塩狩峠』『氷点』『続氷点』を読んだ。
私は特定の宗教を信仰していない無宗教者であるが、キリスト教に関連した内容の三浦綾子文学の世界に魅せられた。
前々から訪れたくは思っていたが、しかし北海道という立地がなかなかのハードルだった。
今回の北海道の旅の目的の3割ぐらいはこの『三浦綾子記念文学館』に訪れることだったかのように思う。
さて、建物の中は私営の博物館でありながら、非常に内容の濃いもので、三浦綾子の生涯をこと細やかに解説していた。
また別館には三浦綾子が作家として過ごした部屋を再現した区画があった。
結局、2時間ほど滞在して、じっくりと展示を見ていた。
外に出るとほとんど日が落ちていた。
見本林を10分ほど散歩し、旭川駅へ戻る。
途中、バスに乗り旭川駅北口へやってきた。
札幌から旭川へやってきて降りた南口とは雰囲気がガラッと変わり、都会的な印象を受けた。というかバリバリの都会だ。
駅の北と南でこれほどまでに正反対というのは驚いた。
バスの中で夕食を食べる店を物色していたのだが、結局のところラーメンを食べようということになった。
スマホで場所を確認しながらラーメン屋へ向かう。
google mapで調べた限り、最もレビュー件数が多く、かつ評価の高かった『梅光軒』にやってきた。
現在時刻18時過ぎ。
昼に札幌から旭川へ向かう特急列車の中で食べた駅弁が腹に入れた最後の食事だったため、とても腹が減っていた。
店内には行列ができていて、20分ほど並んで着席できた。それほど人気店ということだ。
旭川ラーメンは今回始めて食べた。
美味しかった。身にしみる美味しさだった。
一瞬で食べ終わって『梅光軒』を退店すると、駅前の平和通り商店街をぶらぶらした。
次の列車まで少し時間がある。
今日は旭川で滞在ではない。まだ今日は終わりではない。
これから網走へ向かおうとしていた。
写真には行先に「ABASHIRI」の文字が見える。19:08発。
隣には「LIMITED EXP. OKHOTSK 3」と書かれている。
特急オホーツク3号。
旭川から網走へ向かう最終列車だ。
網走到着はなんと23:00。これから4時間近くの長時間乗車になる。
車掌さんが交代している。
特急カムイに続き、初めて特急オホーツクに乗車する。
まだ今日は終われないと気を引き締めて乗車。
車内は暖かく、まもなく眠りに落ちることになった。
眠りから覚めると、まもなく網走駅に到着するアナウンスが聞こえた。
とても寒い。吐く息が真っ白だ。
予約していた宿に向かう。
網走駅付近の第四種踏切を渡る。
時刻は23時過ぎ。真夜中で人通りもない。
今朝、埼玉の自宅を出発してから24時間経っていないというのに、遠く網走という果ての街をたった一人で歩いているこの感覚の非現実感がとてつもなくたまらなかった。
https://goo.gl/maps/YLuUGQ6ydxKoE3t38
『民宿ランプ』という宿にお世話になる。
暖かい雰囲気の民宿で、夜も遅いというのに宿の方はとても丁寧に部屋の設備や風呂場の説明をしてくれた。
ストーブで部屋を温めて、風呂に入り、歯を磨き、ようやく長かった1日を終えることができる。
翌日は網走を観光することにしていた。
疲れ切った体を少しでも休ませようと、布団に入り眠りに落ちた。
続く
ご無沙汰
しばらくぶりの更新。
3月は、卒業旅行から帰ってくると同時に学士(工学)を大学から頂いて、無事卒業…もつかの間、就職する会社の寮への引越し手続きでてんやわんやな日々を送り、4月からは遂に新社会人として社会に放たれ、あっという間に5月下旬。
ようやくなんとか落ち着いてきて、それでも日々研修、資格の勉強。
毎日朝7時に起きるなんて生活、当初は絶対無理だと思いながらも、なんとか早寝を実践して未だに遅刻はしていない。同期は当たり前のように朝通勤してくるし、やっぱり自分だけずれてるんじゃないかという若干の焦りを覚える。当たり前は怖い。
ありがたいことに、土日は十分休ませてくれる会社なので、昨日は大学の旧友(この言葉に違和感しか感じないけれど)と夜遅くまで遊んで、そのおかげで今日は昼過ぎまで寝てた。
人並みに生きてこれているのは、平日は会社、土日は休養という、メリハリのついた生活のせいもあるだろうか。
さらには、祝日ももれなく休ませてくれて、おまけに今年のゴールデンウィークは連休と連休の間の平日も休ませてくれた。
つまりはなんと、9連休という盛大な休暇を取れた。実にありがたいことです…。
本当はもうそろそろ寝たほうがいいんだけど、起きるのが遅かったせいか眠気がまだ襲ってこないので、久しぶりに更新しようかな、と思って今これを書いている。
アレコレを更新します!と高らかに宣言しておいて、全く手を付けていない記事もあるし、この数ヶ月間でいくつか書きたいと思った出来事も出てきたので、少しずつ、覚えていること、感じたことを文章にして、ここに残していきたい。いずれは。
とにかく、まだこのブログは続いていて、今回はその生存報告。
いつ更新するとかはもう明言しないで、できるときに、こつこつ更新していきたい。
書いてるうちに眠くなってきた。社会人になって睡眠の重要性をようやく理解した気がする。
以上、生存報告でした。それではまた。おやすみなさい。
南東北に1泊2日で雪を見に行った -1日目 鳴子温泉-
前回の続き。
アラームで起きた。
シャワーを浴びて、顔を洗い、髭を剃り、淡々と出発の支度を済ませる。
忘れ物がないかを何度も確認してからドアを開ける。
冬の冷たい風が吹き付け、心地が良い。少ししか寝ていない頭に冴え渡る。
今年初めての外の空気だった。
いつも通り西武線で池袋に出てから、埼京線に乗り、赤羽で上野からやってきた列車に乗り換える。
上越線のときは5時23分の高崎線普通高崎行き821Mに乗車したが、今回はそれより3分早い、5時20分の宇都宮線普通宇都宮行き521Mに乗車する。
これが昨日であれば混雑したのであろうが、この日はホームは人がまばらで、車内も本当に空いていた。
外は真っ暗だ。
それでも段々と夜が明けてくる。感覚的には初日の出を見るようだった。
幾度となく行き来した宇都宮線は安心感があった。
もうすぐ宇都宮だ。
この日、東北本線は黒磯から新白河までの間で運休があるということだった。
早朝と終電の列車がそれに該当し、もしかしたら足止めされるかもと若干不安を覚えながら北上をする。
黒磯に向かう。恒例のメルヘン顔の209系が出迎えた。
しばしロングシートに揺られながら、そういえば新白河で系統分離してから初めて東北本線に乗ることに気づく。
以前の記事に書いたのをうっすらと思い出していた。
黒磯に着くと、E531系がいた。
E531系の東北本線方向幕。新鮮だった。いや、違和感のほうが強かったか。
結局、電気設備工事による影響はなかった。定刻で黒磯を発つ。
おそらく「新白河」という文字を付け加えたであろう発車標。
新白河まで20分ほどの短い時間をボックスシートで過ごす。車窓は東北本線で、気分は常磐線だった。
新白河に着くと、本来繋がっていた線路は物理的に分離されていた。奥には乗ってきたE531系が見える。
なんというか、頑なにここは通さないぞ!という強い意志を感じるコンクリートブロックである。
そのコンクリートブロックを通り越して、本来つながっていた線路の上にE721系がいた。
郡山へ向かう。
新白河から1駅の白河から小さく見える白河城。これもいつもの光景。
途中、鏡石あたりで列車は徐々に遅れることに。強風の影響だった。
郡山では20分ほどの乗り換え時間があるので、そう焦ることはなかった。徐行して走るE721系にエールを送る。
結局、25分ほど遅れて郡山に到着した。
新白河から乗ってきた普通郡山行き2127Mの列車が、そのまま普通福島行き1133Mになった。この運用には何度か遭遇しているけれど、毎回こうなのだろうか。
というわけで、遅延による接続待ちどころか、車内から1歩も出ることなく福島に直行することに。
さっきまで徐行していたのに、郡山を出ると途端にスピードを出し始めたE721系。強風は大丈夫かなと一瞬心配になる。それとも弱まったのかな。
特徴的なこの緑色の球体が車窓に映ると、もうすぐ福島だなと実感する。
福島では乗り換え時間が30分ほどあった。
とりあえず駅を出る。
快晴だった。
地面にはところどころ、黒く泥で汚れた雪が端に寄せてあった。
福島ではよく乗り換え時間が発生するので駅から外に出ることが多いのだが、実際にはこの駅前広場より先に出たことがない。
毎回歩き回るには微妙な時間なので、それなら駅ナカで買い物をしようと思ってしまうのである。
今回も例に漏れず、駅舎を一望して満足し、駅へ戻る。エスパルを軽く見て回って、NEWDAYSで軽食を買い、ちょうど列車が入線してくる時間になるので、乗車をする。
次に乗るのは、快速仙台シティラビット3号仙台行き3573M。
E721系の充当だった。
NEWDAYSで買った、福島県民のソウルフードならぬソウルドリンク「酪王カフェオレ」を飲みながら仙台を目指す。郷に入れば郷に従え、である。
着いた。
久しぶりに来た気がしないのは、8月に来ているからか。
それでも、ここまで来ると、安心感と達成感に包まれる。
大きい。何も知らない人が、ここは東京の駅だと言われたら納得してしまうだろう。
仙台より先の旅程をこれまでの道中考えていたのだが、これから山寺を観光しようとしても、着くのが昼過ぎになってしまう。
正直それでも良かったのだが、明日の朝、早い時間に訪れて、人の少ない山寺を観光したほうが雰囲気もいいし、お参りというのは本来午前中にするものだということを知ったので、明日に回すことにした。
今日は鳴子温泉に向かうことに。
このまま東北本線をさらに下り、小牛田へ向かうのだが、次の列車まで時間が余っている。
元旦の翌日なので果たして温泉施設は空いているのかという不安もあったので、駅ナカの観光案内所でその情報を聞くことにした。
係の方によると、情報そのものが入ってきていないので、わからないとのことだった。
親切にも、鳴子温泉のパンフレットに問い合わせの電話番号を調べて書いてもらい、駅の近くにも観光案内所があるので、そちらでも訊いてみてください、と教えられる。
係の方にお礼を言って、そろそろ小牛田行きが出る時間なので、改札に向かう。
12時を過ぎていた。起きてからまだしっかりとした食事をしていなかったのだが、不思議とお腹はそこまで減っていなかった。
それでも、鳴子温泉に着くまではだいぶ時間が空く。念のため、途中の列車内で飢えないように、駅弁屋でサンドウィッチを購入した。
そろそろ列車が出る時間だ。急いでホームに向かった。
2543M。すごく混んでいた。
こんなに混むのか。まるで東京のようだなと、再び感じてしまう。
こういうときこそ、ロングシートであって欲しかったといつもとは反対の感想を持ち、車窓に松島が見えてきた辺りまで立ち乗車。
小牛田に着き、陸羽東線に乗り換える。
キハ110系。調べたらキハ111・112形という車両らしい。
どうも未だに、気動車の形式についてはよくわからない。
一応調べたことを書くと、車体の長さによって、キハ100系とキハ110系に分かれているらしい。前者が16mで、後者が20m。
キハ100系のなかにもいくつも形式があって、同様にキハ110系のなかにもいくつか形式がある。キハ111形と112形はキハ110系のうちの1つ。
キハ111形と112形は片側運転台で、1両単位の運転が可能だが、基本的にはキハ111・112形として運用される。
なるほど、片方にしか運転台が無いのだから、逆方向に進めない。
小牛田では乗り換え時間が短く、すぐの発車となる。
なんとか着席することが出来た。思いの外、私と同じことを考えて、東北本線から陸羽東線に乗り換える乗客が多かったのに驚いた。鳴子温泉へ行くのだろうか。
それでも、すぐに車内は空いてきた。小牛田から3駅の古川は、大崎市の中心都市で、地域輸送としての役割が大きいらしい。
小腹が減ったので、サンドイッチをいただく。
小腹満たしにぴったりだった。
福島からずっと晴れていた空が、古川を過ぎたあたりで雲に覆われ、雪が降り始めた。
少しずつ強くなる。
強風と雪の影響で、列車は徐行したり、停車したりを繰り返す。
それでも長時間同じ場所に留まるということはなく、終点の鳴子温泉に10分遅れで到着した。
仙台で案内されたとおり、駅舎に併設してあった観光案内所で、営業中の温泉施設を訊ねることにする。
やはり、年始ということでいくつかの施設は閉まっているみたいだった。
営業中の温泉を紹介してもらい、雪の中歩いて向かうことに。
鳴子温泉の街並みは落ち着いていて、歩きやすかった。
ただ、寒さには逆らえず、降り続ける雪から逃げるために早足で進む。
訪れたのは、こちら。
共同浴場の「滝の湯」さんと迷ったのだが、タオル類を持ってくるのを忘れたため、こちらの「幸雲閣」さんを選んだ。
若干駅から遠いのだが、歩けない距離ではない。
10分ほどで着いた。
入浴料と貸しタオルの料金を含めて、1000円ちょっとだった。
エレベーターで6階の大浴場に向かう。脱衣所は広めだった。
宿泊客がほとんどだった。大きな荷物を背負っていたのは私一人で、目立っていたと思われる。
浴場も広かった。シャンプーやボディーソープも備え付けられている。
お湯は黒湯で、ヒリヒリと肌に弱い刺激が伝わってきた。なかなか良い。
残念ながら、雪の影響で露天風呂は立入禁止になっていた。
ガラス越しで見る雪は情緒に欠けるので、露天風呂に入りたかったのだが、仕方ない。
1時間ほどで出た。
暖まった体を再び雪に晒しながら、駅に戻る。
往路の陸羽東線でホテルを予約したので、あとは仙台に戻るだけだった。
もう1つくらい、温泉に入れるかなと思ったのだが、復路の列車を考えると、そうもゆっくりしてはいられない。結局、鳴子の温泉街を少し歩くだけにとどめた。
雪は止んでいた。
道中にあった案内図。ひとまず温泉神社に行こうと思った。
昔町役場として使われていた建物。年始だったので閉まっていた。
このあたりは2006年3月31日までは鳴子町と呼ばれる町だった。
現在では古川市などと合併し、大崎市鳴子温泉という住所になっている。その名残り。
駅方向に歩いていく途中にあった。
この時はなんだかよくわからず、とりあえずアーチを潜った先にある建物に入る。
「手湯」というものを初めて知った。手を入れて楽しむ温泉らしい。
足湯の亜種のようなもの。温かかった。
駅の反対方向の道へと進む。
温泉っぽい光景。一帯にはものすごく湯気が漂っていた。
「早稲田桟敷湯」さんは早稲田大学の学生が掘り当てた温泉だという。
こちらも候補の1つだった。
外観が特徴的で、建物も早稲田の関係者が建てたものらしい。時間があったら是非入りたかったのだが、断念。
このあたりは鳴子温泉のメインストリートらしく、浴衣姿に身を包んだ観光客が湯巡りを楽しんでいた。
鳴子温泉には「湯巡り手形」という、お得にいくつもの温泉に入ることができるチケットが販売されている。
帰り際になってこの手形の存在を知り、ショックを受けたのを覚えている。
いつかまた一度来て、私も浴衣姿で街をぶらつき、1日中温泉に入りまくろう、そう決意したのであった。
鳴子温泉で最も有名な公共浴場の1つである「滝の湯」さん。
その横には「鳴子温泉神社」という神社がある。
列車の時刻まであと少しだけ余裕があった。駅から若干離れるが、行ってみることに。
日も落ちてきて、いい感じの雰囲気になっていた。こういうところは、テンションが上がる。
奥の階段を上り、境内に入る。
私以外誰もいなかった。本殿まで続く雪の足跡を辿る。
辺りはシンとしていて、もう半端じゃないくらい神秘的だった。雪化粧がさらにそれを際立たせている。
雪を踏む音だけが響いていた。
参拝。"初"詣だった。
今年1年の無事と平安に加え、半分終了したこの旅の成功を願う。
何年ぶりかわからない初詣を終えると、時間も時間なので、足早とその場を立ち去ることにした。
ホームに着くと同時に列車が入線。
1740D。陸羽東線仕様のキハ111・112形だ。緑と赤のラインに、前面には奥の細道と書かれてある。
これから仙台に戻り、あとは寝るだけ。
帰りの列車はずっと寝ていた。小牛田に着いてもしばらく起きなかったので、危うく東北本線上りの仙台行きに乗りそびれるところだった。
仙台に帰ってきた。
今知ったが、「なかけちょう」と読むらしい。仙台のアーケード街である。
夕食をいただくお店を探す。
市街をぐるぐる回っていたが、めぼしいお店もなく、行列ができていたここに決めた。
列には並びたくなる質なのである。
仙台では有名なラーメン店らしく、いつでも行列ができているらしい。
牛タンとも迷ったが、仙台に来るたびに牛タンを食べていたのでたまには趣向を変えてみた。
食券を買い並ぶこと10分、席に通される。
5分ほどで着丼した。
見た目ほど濃くなく、美味しかった。ネギ入れ放題だったのも良い。
量に関しては(大)というほど多くなく、腹6、7分目ほどだったので、若干の物足りなさを感じながら退店。ごちそうさまでした。
1日中動いていたせいか、空腹が満たされると同時にものすごい眠気が襲ってきた。
予約した宿に直行することに。
国分町に宿を取っていたので、地下鉄で向かう。
東北の歌舞伎町とも呼ばれる国分町は、飲み屋街が立ち並ぶ繁華街。
せっかく来たのだから国分町周りをぶらぶら歩いても良かったのだが、明日は朝早く山寺へ行く予定なので、我慢した。
コンビニで夜食などを購入し、チェックインを済ませて、就寝。
アラームは5時にセットした。起きれますように。
1日目終了。
続く
南東北に1泊2日で雪を見に行った -序章 寝正月から一転して-
年が明けた2018年1月1日は、ぐったりと一日中家で寝ていた。
前日の12月31日に、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットに朝から参加し、その反動で疲れ果てていた。
起きたのは夕方ごろ。元旦という貴重な1日を半分以上失ったことによる喪失感で、そのまま二度寝をしようかとも思った。
いわゆる寝正月だった。
毎年、年末こそ有明で忙しいが、反対に年始は家でぐったりすることが多かった。
今年の帰省は家族の都合でなくなったし、このままでは東京に引きこもることになる。
出かけようかな。くるまった布団の中で、3回分余った青春18きっぷを思い出す。使用期限は10日まで。
まとめて使うとなると、明日明後日の残された三が日しかタイミングは無い。
このままではいけないと思い、飛び起きた。
そして、明日の始発に向けて荷造りをしながら、旅程を考え始めた。
雪を見たいと思った。
先日の上越線の件で、嫌というほど雪を見て、そして雪のせいで危うく帰れなくなるという経験をしたはずなのに、それでも雪を見たかった。
ただ、流石に上越線にはもう乗りたくなかったので、目的地を東北に決める。
東北となると、日帰りはきつい。さらに、残った青春18きっぷを少しでも消費したかったので、泊まる前提の旅程を立てることにする。
その上で、初詣を今回の旅の目的にしようと思った。
ここ数年、初詣には出かけていない。昔は地元の神社にお参りしていたが、それも億劫になってしまっていた。
これまでお参りしていなかった分を取り戻そうというわけではないが、ご利益のあるところへ初詣に行こう。そう思った。
東北の初詣スポットについて調べていると、いくつか出てきた。
遠いところでは青森の善知鳥神社や、岩手の盛岡八幡宮などがヒットしたが、今回は1泊を想定していたのでちょっと厳しいかと思い、断念。北東北というよりは南東北に絞って調べることにした。
ふと時刻表の路線図を眺めていると、目に入ったのが「山寺」の文字だった。
仙台と山形を結ぶ仙山線の山形寄りにある山寺は、一度訪れてみたい観光地の1つだった。
当初、初詣は神社のイメージがあったのだが、調べてみるとお寺でも問題ないことを知る。
駅から徒歩でお参りできるアクセスの良さにも惹かれた。山に登る必要はあるが。
この機会に山寺に訪れることにした。
宿はビジネスホテル、もしくは安く済ませるためネットカフェにしようと思っていた。
山寺となると、仙台か山形に泊まることになるだろう。
ひとまず仙台を中心に考えて、他に観光できるところを探す。
いろいろ調べていると、「青春18きっぷで行く温泉番付」なるものがヒットした。
平成19年6月8日発行の月刊誌「旅の手帖」7月号において紹介されていたものらしく、青春18きっぷを使って訪れるのにふさわしい、つまり駅から徒歩で入れる温泉地が「東番付」と「西番付」に分かれ、いくつも書き連ねてある。
ドンピシャだった。これはちょうどいい。参考にしよう。
今回は東北なので、東番付に注目した。
東番付では、「草津温泉公共浴場」が"前頭"、「青森市内温泉銭湯」が"小結"、「黄金崎不老ふ死温泉」が"関取"、「吹上温泉『吹上露天の湯』」が"大関"となっており、そして最もランクの高い"横綱"として「鳴子温泉郷」がランクインしていた。
仙台から2時間ほどでアクセスできる鳴子温泉は、この番付にふさわしく、駅から歩いて温泉に入ることができる。いくつもの温泉施設が点在しており、その中から選ぶのも楽しそうだ。
仙台から東北本線を下り、小牛田で陸羽東線に乗り換えて、山形との県境を越えないあたりにある。陸羽東線は小牛田と新庄を結ぶローカル線で、別名「奥の細道湯けむりライン」となっており、鳴子温泉のための観光路線のようだった。
ということで、「山寺」と「鳴子温泉」この2つを今回の旅の目的とした。
ここで時計を見ると、日付が変わっていた。1月2日。元旦が終わった。
荷造りに調べ物をしていたせいで、出発当日の深夜2時を過ぎていた。
始発に乗るためには4時過ぎに家を出なければならないので、まだわずかながら寝れる。
アラームをセットし、寝た。起きれることを願って。
続く
あけましておめでとうございます
そういえば、まだ年始の挨拶がまだでした。(遅すぎる挨拶ですが…)
昨年の10月終わりに立ち上げた当ブログですが、2ヶ月がたった現在もなんとか続けられていることに驚いています。おそらく、私のいままでで最も長く続いているブログです。飽き性も大概にしなければ。
1ヶ月とか長い間放置したり、もしくはその反対に1日に何度も投稿したり、気まぐれでアップしている状況ですが、このスタンスを保っていきたいと思います。
あと、ブログ名変えました。安直に変えてもいいのかわからなかったけど、変えました。これも気まぐれです。全てはその時々の気分なのです。
以上報告でした。
年末に上越線に乗ったら新潟から出れなくなった話
12月27日.2017年の冬の青春18きっぷ2回目は,まだ夜も明けきれない5時前の池袋から始まった.
年末だっていうのに,深夜とも早朝とも表現できる4時前に無理やり体を起こして,眠い体を引きずりながら西武池袋線の一番早い池袋行きに乗り込む.
上野を5時13分に出る高崎線始発に間に合わせるためである.
西武池袋線の始発に乗って池袋からこの列車に追いつくためには,埼京線に乗って赤羽で乗り換えなければならない.
池袋を5時2分に出る埼京線川越行きに乗り,5時10分に赤羽着.それから5時23分に出る高崎行きに乗り継ぐ.
20分に宇都宮線,23分に高崎線が出るホームには,列車を待つ人たちが静かに並んでいた.どちらも上野始発である.
先に出る宇都宮線宇都宮行きにそのほとんどが乗車し,後続の高崎線はホームに残った人たちが乗り込んだ.
上野からの乗客も少なく,車内はガランとしていた.
端の車両に乗車し,ボックスシートを独り占めして,これからの予定を練る.
この日は,飯山線に乗ろうと思っていた.途中,温泉地を幾つか経由するので,そのどれかに入れたら…とも考えていた.ちなみに日帰りである.
飯山線を乗り潰すだけなら始発でなくともその日のうちに戻ってこれるのだが,それだけでは味気ないと思い,青春18きっぷの醍醐味である"途中下車"をしようというわけ.
何度も通り過ぎたことはあっても未だに降りたことのない越後湯沢で降りて,越後湯沢温泉に入ってもいいし,飯山で降りて,野沢温泉に入ってもいい.
以下が簡単な旅程である.
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池袋 → 埼京線 → 赤羽
赤羽 → 高崎線 → 高崎
高崎 → 上越線 → 越後川口
越後川口 → 飯山線 → 豊野
豊野 → しなの鉄道 → 長野
長野 → 篠ノ井線 → 塩尻
塩尻 → 中央本線 → 新宿
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豊野から長野は別途運賃が必要.でもたった3駅なので250円で済む.
時間が許せば,長野にも降りて,街を散策しようと考えていた.先日訪れた松本と,どれほど規模が違うのか興味がある.
…みたいなことを,高崎線の車内でノートパソコンと時刻表を広げて考えていた.
しばらく経っても車内はガラガラで,人の出入りもほとんどなく,作業に集中していたのだが,高崎が近づいてくると次第に人が増えてくる.
急いで荷物をまとめると共に下りる準備を始めた.
7時前の定刻通り高崎に着き,改札階にあるNEWDAYSで食料を買い込んだ.朝食がまだだったので,お腹が減っていたのだ.それに,これから本数が極端に減る区間に入ることもあって,念のため多めに買うことにした.
上越線水上行きのホームに向かうと,重装備のスキーヤーが列車を待っていた.
しばらくして列車が入線してくる.115系を置き換えまくっている211系.
211系は,雪まみれだった.車体のどこを見ても雪がくっついている.
この時まで,大雪警報が出ていることを知らずにいた.朝からすごい雪らしい.
すぐにスマホで運行状況を確認し,上越線上りが遅延していることを知る.
下りは平常運転だったが,嫌な予感が拭いきれない.
しかし,飯山線に遅延の情報はなく,上越線上りも少しの遅延らしかったので,そこまで深く考えずに強行することにした.
今思えばこの時点でやめておけばよかったと思う.
雪まみれの211系に乗車,しばらくして定刻通り発車した.
朝日が眩しく,渋川を過ぎた辺りではカーテンを下ろす乗客もいたほどだ.
そんな中,しばらくロングシートに揺られていると,隣の家族連れの子供が
「雪だ!」
と叫んだ.
雪が降っていた.
高崎ではおひさまが顔を出していたのに,トンネルを幾つか越えただけで大雪になっていた.
窓は結露で水滴が一面に張り付いて,外界の雪を反射して白く染まる.
久しぶりに見た雪で,一気に旅情が増す.
途中,駅に着いてドアが手動で開けられる度にちらっと外の様子が伺えて,大雪が降っていることを確認することが出来た.ホームには雪を除雪する駅員の姿が.
そうこうしているうちに水上に着いた.
引き返そうかと思った.
ホームに立っているだけで屋根と列車の間から雪が舞い込んで来る.
屋根のないところでは膝下まで埋まるぐらいの雪が積もっていた.
しかし,そんな意志とは裏腹に,長岡行きの列車は遅延もなく平常運転で,特に遅れる様子もなかったので,疑りながら予定通り北上することにした.
上越線は雪に強いなと感心しながら跨線橋を渡って長岡行きのE129系に乗る.
このE129系も同じく雪まみれで,211系よりも雪を被っていた.
高崎からの乗客の約半分が長岡行きに乗り継ぎ,若干混雑していた先ほどの高崎からの列車よりはだいぶ座席に空きがある.
色々迷っていたが,結局,越後湯沢で途中下車することにした.寒さでお湯に浸かりたくなったのだ.
水上から越後湯沢までは1時間ほどで着く.
ロングシートで食べづらかったおにぎりを,ボックスシートでようやくいただきながら,列車は水上を発車した.
着いた.
向かいにはほくほく線の車両が停まっていて,越後湯沢まで乗り入れていることを知る.
というかそんなことなんてどうでも良くなるぐらい寒かった.
軽装備過ぎた.上着や防寒具など,色々問題だったが,なにより靴が問題だった.スニーカーを履いていた.
水上のホームを歩いているだけで雪が染み込みそうで怖かったのだが,間違いなく染み込まざるをえないだろうと,越後湯沢のホームに降りて確信する.
さらには冷気が足に直接響いてきた.このままじゃ風邪引く.
この天候じゃ色々無謀じゃないかな,と怖気づきながら階段を上り,改札を出る.
左が在来線で右が新幹線.
駅構内は広く,お土産店や屋台が軒を連ねる.
極端に本数の少ない上越線の駅だと思って甘く見ていたが,よく考えると新幹線も通っているし,何よりスキーに温泉と,周りには観光資源も豊富で,大きくないわけがなかった.
しかし,朝が早くそれらの営業はまだだったので,帰りに寄ろうと決めて,とりあえず観光案内所で地図を貰おうと構内をさまよう.
ガラスで仕切られていた観光案内所はカフェが併設された待合室と同じ空間にあった.
受付でこれから向かう温泉についての情報を聞く.
高崎線内で調べて,越後湯沢から徒歩圏内で朝から営業していたのは「山の湯」さんという公共浴場1つだけだった.評判もなかなか良かったので,楽しみだ.
一応年末なので営業しているか不安だったのだが,平常通りらしい.山の湯さんまでのアクセスは無料のバスが出ているらしく,親切にその発着時刻と帰りの時刻も教えてもらうことが出来た.
ただ,この大雪なのでそこに関しては不確定要素があるとのこと.
というわけで,ひとまず指示されたバス停に向かうことにした.
駅を出た.
歩道にも,車道にも雪が積もりに積もっていた.
駅前は除雪されているものの,ロータリーを出て少し行くと途端に除雪しきれいていない道が延々と続いている.
近くには除雪中の除雪車が一生懸命に雪を吹き飛ばしているが,完全に間に合っていない.
さらにその吹き飛ばされた雪たちは歩道側に積み重ねられ,つまり歩道は雪で埋もれていた.歩行者は車道を歩くしかない状況だった.
雪国では普通に見られるこの状況も,雪と縁遠い存在である東京に住む私にとってはある意味恐怖の対象でしか無く,完全にビビっていた.
駅前通りなので車の往来も多く,歩行者は完全に邪魔者.
何度もタイミングを見計らってようやく流れが途切れたところで道を横断しようと思い切って足を踏み込み,布でできたスニーカーは一瞬で雪に侵され靴下に届くか届かないかというギリギリだった.
足元が冷えるのを我慢しながら雪の少ない地面を選んでようやくバス停に辿り着くと,そこに誘導係のおじさんが立っていた.
そこは"バス停だったところ",という表現のほうが正しく,本来のバス停は雪で歩道が潰されたので文字通り消滅している.車道に並ぶしかなかった.
親子のスキー客が1組並んでいるだけだったが,誘導係のおじさんは彼らが車に引かれないように監視する役割を担っていた.
さらに,このバス停に発着するバスには幾つもの系統があり,行き先がそれぞれ違うのでバスが到着するたびにバスの運転手と確認を取って乗客がいないことを知らせていた.
親子のスキー客の後ろに並ぶと,おじさんがどこに行きますか?と聞いてきた.
私「山の湯さんに行きたいので,○○(最寄りの旅館名)前の停留所で降りたいんですけど」
おじさん「ああ,山の湯さんね」
私「もうすぐバス来ますよね?」
おじさん「この大雪だからもういつ来るかわからないなぁ」
私「???」
おじさん「時刻表どおりに動いてないんだよね.申し訳ないけど,待つしか無いよ」
それから30分待って,バスが来た.
その間,ずっとおじさんと昨晩から降り始めたとか,大雪で完全に麻痺してるとか,そういう話をしていた.上越線もこのままだとやばいんじゃないかなというありがたい(?)情報も頂いた.
大雪が降り続ける中じっと屋根のないところで30分待つのは中々に苦行だ.5分おきにフードやバッグに積もった雪を払い落とさなければならないし,マフラーの間から首筋に雪が伝ってきてヒヤッとしたり,ついには靴下にまで浸水した雪の気持ち悪さに耐えなければならない.
バスに乗り込むと5分ほどで停留所に着いた.
停留所を下りて,坂を上ると山の湯さんがあると観光案内所の方が教えてくれたのだが,その坂には雪解け水がとめどなく流れ,上り切る頃にはいよいよ冷水に靴を履いたまま足を浸したような状態になった.つまりもうびしょびしょだった.
駅を出てからカメラをバッグにしまったので山の湯さんの写真はないが,外観だけでかなり趣のあるところだった.
入口を開けると,受付で管理人のおじさんがご苦労様と気遣ってくれた.
券売機で入浴料と貸しタオル料を支払い,出てきた券をおじさんに渡し,さっそく風呂場に向かう.
左手には石油ストーブの焚かれた畳敷きの休憩所があり,一面の窓から降り続ける雪を見ることができる.
脱衣所で濡れた靴下を脱ぎ,しばらく乾かす.よくこんなの履いていたなという具合に靴下は濡れていた.
いよいよ風呂場に入る.
シャワーはなく,ジャグジーから出てくる源泉かけ流しのお湯を洗面器に溜めて体を洗う.
シャンプーやボディソープは備え付けてあった.公共浴場なので無いかと思っていたが,これはありがたかった.
全て洗い終えると,お湯に浸かった.
若干ヌメヌメしていて,硫黄の香りもするが,そんなに強くない.温度は高めで,好みの湯加減だった.
雰囲気もいいし,お湯もなかなか.営業時間だけを決め手にここを選んだが,正解だったようだ.
1時間ぐらい湯船に浸かっていた.このまま駅に戻って東京に帰るつもりでいた.正直予想外なことが多すぎて疲弊してしまった.
もう出ようかなと思ったところで,地元の方が入ってきて,雪がすごいですねとか,どこから来たんですかとか,話が弾んでしまって,これは嬉しいハプニングだった.地元の方との交流はなかなか楽しい.
のぼせる寸前でお湯を出て,着替えた.靴下はまだ若干湿っていたが履けるほどにまで乾かした.
座敷でストーブに当たりしばらくボーっとしてからバス停に向かう.
心身ともに安らいだ後に,また雪道を進まなければならないと思うと気が重かったが,それ以外に方法がなかったので外に出た.
往きに降りた停留所でしばらく待っていたのだが,案の定バスは来ない.こんなことだろうなと思いながら30分経ち,そのまま1時間が経とうとしていた.もうフードに積もった雪を払い落とすのは諦めていた.
おかしい,来ない.
もう上越線上りの発車時刻は過ぎていた.次の水上行きは3時間後だった.
もう色々どうでも良くなっていた.足の感覚はなくなってるし指先がどうなってるのかもわからない.山の湯に戻ろうか.もう一度湯船に浸かろうかな.
意識も薄らぎそんなことを思っているとようやくバスが来た.
どこへ行くか念のため訊ねると,どうやら越後湯沢ではなくガーラ湯沢行きのバスらしい.
もう笑ってしまう.とにかくこの状況から抜け出したくて,ガーラ湯沢行きのバスに乗った.とにかく屋根のあるところに行きたかった.
脱衣所で乾かした靴下は再びびしょ濡れになっていたし,全身は冷えて何のために湯船に浸かったのか分からない.
10分ぐらいでガーラ湯沢に着いて,新幹線で越後湯沢に戻ってそれから在来線で帰ろうと思っていたのだが,次の東京行きは2時間後で,もうやれやれ状態.
しばらく駅構内をぶらぶらして,越後湯沢行きのバスが出るとアナウンスがあったので,再びバスに乗車して越後湯沢に戻ってきた.
お腹が減って仕方がなかったので,屋台で五平餅を購入する.ついでに隣の売店にも寄り,帰りの車内で食べるための駅弁を買う.
ようやくゆっくりできる.そう思いながら近くのベンチに座って五平餅を食べていると,アナウンスが聞こえてきた.
「上越線,上下線ともに大幅な遅延をしております」
急いで窓口で事情を聞きに行った.
越後湯沢のポイントが故障しているのが大きな原因で,更に上越線全体が大雪による除雪作業のため遅れているらしい.
駅員によると,あと10分ほどで越後湯沢に到着するはずの下り長岡行きは,たったいま水上を出発,途中駅で除雪による停車をするため,さらなる遅延が見込まれるという.
肝心の上り水上行きに関しては,現状ではどうなるかわからないとのこと.
ありがとうございました.と礼を述べ,一旦待合室に入ることにした.
かなり面倒なことになった.
東京に帰るための列車がどうなるかわからないのは相当まずい.
待合室でこれからの行動を考える.
下手に動くのはやめて,しばらく待ってみることにする.
しかし,越後湯沢駅構内は土産店,スポーツショップやレストランなど,観光者向けの施設は多いが,決して都市圏の駅のようになんでもあるわけではない.
高崎線内で飯山線に乗ろうとか計画していた数時間前のことが,遠い過去のように思えてくる.
時刻は13時を回ろうとしていた.時間は止まってくれない.
そして,なぜか上越線下りの列車に乗って長岡に向かった.
当時の思考回路は今考えてもよくわからない.
多分,自分が感じていた以上に切羽詰まっていたのかもしれない.
もしこのまま越後湯沢に閉じ込められるのならば,長岡で閉じ込められたほうがマシだと思ったのかも.
少なくとも長岡は越後湯沢よりは栄えている.過去に長岡のホテルに泊まろうとしたことがあって,調べた記憶がある.
越後湯沢の駅周辺になにもないことが怖かったのかもしれない.いざという時のためにある程度規模の大きい都市に逃げようとしたのかも.
確かに越後湯沢から最も近い都市は長岡だった.
新幹線を使おうという考えは微塵もなく,それならば長岡に行こう,ということだろう.
新潟県第2位の都市圏に降りてみたかった気も無くはなかったかもしれない.
謎の行動原理で長岡を目指すことにした私は,次の列車を調べた.
幸運なことに越後湯沢始発の下り上越線は動いているらしい.13時13分発の長岡行きに乗り込む.
遅延による待ちぼうけを食らった人たちが多くいたにも関わらず,車内は空いていた.
この遅延の嵐の中,定刻通り列車は動き出した.
安心感(?)からか,空腹が襲ってきたので予め買っておいた駅弁を食べる.
非常に美味しかった.空腹は最高の調味料である.
冷蔵庫のような気温の中に放置しておいたにも関わらず,肉は柔らかく,ご飯も美味しかった.
一瞬で平らげて,睡魔に襲われる.長岡まで寝てしまった.
着いた.
改札を出て,すぐ目に入った無印良品へ直行して靴下を買った.
これだけで長岡に来て良かったと思えた.便利なのはいいことだ.
濡れた靴下の気持ち悪さから解放されると,近くのスタバで落ち着くことにした.
コーヒーを飲みながら,周辺のビジネスホテルを調べる.
新潟市に次ぐ都市圏なだけに,かなりヒットした.ネカフェも複数あったので,少なくとも野宿することはないだろう.
もう宿泊予約をしてしまおうかと思ったが,一応まだ帰れないと決まったわけではないので,幾つか目処を付けておく.
上越線の運行状況は,やはり越後湯沢でのポイント故障の影響で大幅な遅延をしているらしい.あれから事態は好転してはいなかった.
スタバを出て,駅の外に出ることにした.
長岡でも雪は降っていた.
それでも,越後湯沢や水上に比べたらずっと小降りで,積雪も少なく,歩くことに不自由はしなかった.
駅周辺を少し歩く.
長岡城址がある長岡駅西口の街並みは,駅舎の前にロータリーが大きく展開されていて,その上を駅直結の歩道橋が走り,駅前通りへと伸びている.
飲食店と言っても,ほとんど居酒屋しかなく,新潟駅と似ているなと感じた.
駅ナカが非常に発達していて,駅前はそこまで,と言った印象だった.
特にめぼしいものも見つからなかったので,駅に戻り,改札前の発車標を確認していると,もうすぐ上越線上りが出るとのアナウンスがあった.なんと定刻通りの発車らしい.
時刻表通りならあと数分だ.急な判断を求められ,とりあえず,もし乗ることになっても飢えないように近くのNEWDAYSで食料を買って,改札に戻る.
もしかしたら今日中に東京に戻れるかもしれない.淡い期待に誘われた.
いま一度運行情報をスマホで確認し,"運休"ではなく"遅延"という文字を確かめる.
大丈夫,動くことには動くんだ.
渋川まで辿り着けるならば,イコール帰れるのだということだ.
長岡を発って池袋に着く終電はあと3本程あとなので,もし途中で遅延によって数時間遅れても,まだ取り返しはつくはず.
最悪,高崎以降の終電が終わってしまっても,高崎周辺なら宿泊の手段なんて山ほどある.よし.
16時32分発の上越線普通水上行きに飛び乗った.
これがいけなかった.
この結果,車内に5時間以上閉じ込められた.
まず,長岡を出発して数駅を過ぎたあたりで,1駅ごとにかなり,長時間の停車があった.
そのおかげでずるずると到着予定時刻は遅れ,六日町に着いた頃には1時間も遅れていた.
度々,「除雪のため停車いたします」という放送が流れる.
ああ,なんということだろう,と嘆いたが時はもう既に遅かった.やはり長岡に留まっておけばよかったのだ.
そうして,六日町停車中.車掌から突然「水上から先に行かれるお客様は車掌までお知らせください」とのアナウンスがあり,車内は騒然となった.
放送の仕方からして,水上から先に行けないのか?と誰もが疑問に思っていたと思う.
指示通り,水上より先に向かう乗客たちが,一斉に列車の最後尾に押し寄せる.あとになってわかったことだが,乗客の過半数が東京へ帰る人達だったのだ.
結局,埒が明かなくなり,車掌が車内を周り,一人ひとりの目的地を訊く事態となる.
この列車の乗車率はかなり高く,それだけでかなりの時間を要したように思えた.
その後も,車掌からは「遅延している」という旨の情報しか与えられず,車内は更に緊迫した空気に.
しばらく六日町から動かなかった列車が動き出した.それからは比較的スムーズに上り方面に走っていたが,石打で再び停車した.
Twitterで上越線の運行状況を調べると,前を走る1時間前に長岡を発車した列車が越後湯沢で運行をやめていたとの情報を得る.
それからは越後湯沢から水上まで代行バスを手配して乗客を運んだということだった.乗客は無事水上までたどり着いたらしい.
水上から先,高崎行きは通常通りの運行をしていた.
もしかしたら私たちも越後湯沢で代行バスに乗り水上まで行けるのではないか.そうすれば東京に帰れる.
と思った矢先に,再び車掌からアナウンスがあった.
「越後湯沢駅のポイント故障のため,この列車はこれ以上進むことが出来ません」
「そのため,これより参ります下り長岡行きに乗り換え,浦佐駅までお戻りください」
越後湯沢にすら辿り着けないと言われた.
それどころか,来た道を戻る指示を与えられてしまったのだ.
流石に,もう,ダメだと思った.帰れない.
それからしばらくして,長岡行きがやってきた.指示通りこの下りの車両に移る.
車内は元々5割ほど埋まっていて,そこに私たちが乗っていた水上行きの乗客が乗り込んだことでかなりの混雑となった.
追加のアナウンスがあった.
「浦佐まで行かれましたら,新幹線で東京方面にお乗り換えが出来ます」
暗に,もう新幹線しか方法は残っていないと言われた.まぁそうだよな.
そうして,列車は順調に北上して,浦佐に到着した.
乗客が次々と降りる.乗ってきた列車は車体がだいぶ軽くなって,悠々と長岡へ歩みを進めた.
疲弊しきった私たち乗客を駅員は改札口へと誘導する.
新幹線の改札口へと通された私たち.待合室前の広い空間に集められた.
駅長らしい人物がメガホンを片手に,これからの指示を促す.
ひとまず,この度は申し訳ありませんでした,というお詫びに続き,現在上越線は大雪のため運休を決めていて一切動かないという状況確認,その後に,これからの対策.それは.
つまり,高崎より先,東京までは自費で帰ってくれとのこと.
列車に乗っていた人数は思っていたよりかなり多く,おそらく100人近くいたと思う.
高崎まで乗る人はその中の10人足らずで,私を含むそれ以外の乗客は大宮や東京まで乗る必要があった.それは,駅長が挙手でどこまで行かれるかというアンケートを取って調べた.
その中のひとりが反発した.
私たちは何時間も車内に閉じ込められた.大雪なのは仕方がない.その点に関してはJR側に落ち度はない.
しかし,車掌に指示されたとおり,それ以外の解決手段が提示されなかったため,仕方なくこの浦佐駅までやってきたのだ.行動が制限された中,突然浦佐駅で解放され,自費で帰ってくださいはあまりにもひどすぎるのではないか.
という内容.結局,東京までの運賃も負担するよう要求をした.
駅長は予め予感しておいたのか,すぐにそれを飲んで,東京まで料金を払わずに帰れることになった.
青春18きっぷなどのフリーきっぷを使用していた人も例外なく,全員が浦佐駅から新幹線に乗ることが出来たのだ.
その後,浦佐駅では新幹線が到着するまで自由時間となり,待合室で寒さを凌ぐ人や外のコンビニへ買い出しに出かける人などに分かれた.
東京行きの上越新幹線に乗ってもその日のうちに帰れない人もいて,その人達にはホテルの手配がなされた.翌日以降に帰ることになったらしい.
私たちは乗車券や特急券無しで改札を通り,新幹線に乗車することになった.
乗車したのはMaxとき350号.東京行きの最後の新幹線だ.
自由席に乗車してくださいとの指示があった.自由席はほとんど貸し切りで,1時間ほどで上野駅に着いた.
上野駅では,事情を話すとすんなりと改札を通ることが出来た.
結局,なんとかその日のうちに帰宅することができて,今では貴重な体験ではあるが,この時は本当にホッとした.
もしあのとき,長岡で列車を見送っていたら,もしその1本後の列車に乗っていたら,どうなっていたのか.想像するだけでも怖い.
最善策は長岡で1泊することだったと思う.でもやっぱり,宿泊代と青春18きっぷ1回分を浪費しなくて済んだのは嬉しい.
というわけで,最後は青春18きっぷで新幹線に乗って旅は締めくくられた.
おかげでまだ3回分残っている.次は1泊でもしようかな.
終わり.