にひるなにっき

気の向くままに、気の向かないままに。

青森 2017夏 -3日目 八甲田丸-

青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、東北本線及び奥羽本線の終点である青森駅と、津軽海峡を隔てた北海道、函館本線の起点である函館駅とを結んでいた鉄道連絡船。鉄道国有化直後の国鉄により開設され、国鉄分割民営化後、間もなく開業した青函トンネルにその役割を譲って終航した。

青函連絡船 - Wikipedia 

 

八甲田丸は、そんな青函連絡船としての役目を終え、海上博物館として利用され、保存されている、"青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸"である。

八甲田丸は今もなお海に浮いている。船舶検査を受けるため、1年に1度休館する、立派な船である(動きはしないが)。

 

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JNRと書かれた煙突展望台

 

私が生まれる前から、青森駅、青森ベイブリッジアスパムなどとともに存在している施設だ。

青森駅にほど近い岸壁に鎮座する黄色と白の巨大な船体のそれは、物心ついた時から知っている。

時々聞こえてくる、時代錯誤な鈍く低く響く汽笛もまた、八甲田丸という存在を際立たせる。

青森駅に降り立つと、それは駅に行くと列車を見れるような、そんな当たり前の事象のように、八甲田丸はいつもそこにいた。

 

ただ、その外観は目に焼き付いているが、その中身についての記憶はいっさいなかった。

私はあまり幼いころの思い出について記憶が良いほうではない。

しかし、青森という東京から何百キロも離れた、どちらかというと非日常的な光景のある土地のことはある程度覚えていた。

青森駅舎も、ねぶた祭も、三内丸山も、浅虫も、合浦公園も。函館のことも覚えている。

記憶がないってことはそんなに大したところじゃないんだろう。

8月16日、午後1時ちょっと前ぐらいの私はそんな心境で、八甲田丸に入船した。

 

船内で入場券を購入。順路通りに進む。

最初の展示では、人形によって青函航路が生きていた時代の人々が再現されていた。

それらをカメラに収めるのを忘れた。魚とか果物とかを売りさばく人々が列車や船を使っていたという説明だった。

このフロアは主に青函航路における背景についての説明であった。当時の人々の暮らしや品々を間近で見ることができ、歴史の苦手な私にもわかりやすかった。

その中でも個人的に魅かれたのがこれ。

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青函航路と東北・奥羽本線津軽線の時刻表(年代不明)

青森駅を何時に出て、どの路線を経由してどこへ向かうか、が書いてある、ただそれだけ。

接続線名や、等級の記述など、見ていて飽きないのである。

青森発の東京行き列車なんて、かつての上野東京ラインを具現している。

今は亡き塩釜線や江差線の表記もある。

このような案内板が他にも数枚見受けられ、食い入るように見ていた。

 

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青函連絡船内の座席

他には、特急列車のような船内の座席がそのまま置いてあった。リクライニングもできた。

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船内の案内板

実際に使われていた案内板たちも展示されていた。

そのまま寝台列車に使えそうなものもある。

 

順路を先に進む。

甲板に、つまり外に出た。

非常に風が強く、危うく柵を超えて海に落とされそうなほどであった。

強風に対抗しながら、JNRマークが書かれている展望台に上がる。

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煙突展望台から北を向いて

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煙突展望台から南を向いて

ここでやっと、いつも眺めていた八甲田丸に乗っているということを実感した。

素晴らしい開放感に浸ることができた。風が強くなければよかったなぁ。

 一通り甲板を一周し、再び船内に戻った。

 

エレベーターで1階まで降下する。

1階と言っても、地上の1階とはわけが違う。ここは海の上、さらには青函連絡船である。

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船の中に連結器?

そう、青函連絡船は列車(主に貨車)を積み込む船である。

そのための連結器があった。

そして。

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スユニ50

貨車があった。

これは荷物室と郵便室の両方を備えた郵便車。

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キハ82

なんと、ディーゼルカーである。旅客車両までもが積まれていた。

 

そう、1階は車両甲板、貨車や気動車が所狭しと展示してあった。

他にも。

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DD16

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ヒ600

鉄道は好きだが知識は乏しい私でも、それぞれに解説が添えてあり、勉強になった。

そもそも、ここにある車両すべて初めてお目にかかるものばかりであった。

そのどれもが現在では貴重な車両であるのは言うまでもない。

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船尾扉

今は固く閉ざされているが、当時はこれを開いて列車を出し入れしていたという。

この線路は、前記事の画像に続いているものと思われる。

 

さて、順路を追おう。

今度はさらに降下して、地下1階。

ここには、エンジンルームがあった。

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エンジンルームに通じる通路

この先には。

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エンジン

私は理系であっても機械系ではないので全くよくわからないが、これが動力らしい。

とても重厚でメカニカルな一昔前の技術、といったような風貌であった。

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ルーム内

こんな部屋がいくつも続いているのである。

船が動くとなると、これらが一斉に動き出すわけであるから、当時は熱気が半端ではなかったということが予想できる。

 

船内の展示は以上であった。

 

所要時間としては1時間半程度。後の予定に合わせて若干早めに動いたため、じっくり見るとなると、さらに時間がかかりそうだ。

 

北海道新幹線青函トンネルによって新函館北斗まで開通してから1年半が経った。

ほんの少し前までは、そこを在来線が駆け抜けていた。

鉄道ファンにとって、その時代に本州と北海道を結んでいた寝台列車の思い入れは強い。

その寝台列車までもが存在しなかった時代。

遠い遠い昔のことではあるが、青函トンネルすらなかった時代を、その時代から見つめてきたこの船に乗れば体感することができる。

非常に貴重な博物館だ、八甲田丸。

 

八甲田丸を降りてからは、ワラッセに向かうことにした。

その様子は次項で。

 

以上。