”2017秋 長瀞紅葉おさんぽきっぷ” -長瀞と秩父-
前記事の続き.
長瀞駅に降り立った.時刻は10時半.
有人改札のため,一人ひとり手作業で改札業務をする駅員.ご苦労様.
この時,2つの改札が用意されており,1つは通常改札.紙の切符を見せて改札を通る.
もう1つがSuicaやPASMOなどの交通ICカードを利用してこの駅まで来てしまった乗客のための改札.秩父鉄道ではSuicaやPASMOを使えないため,精算が必要.
写真の駅舎左側の改札が通常改札で,私はここから改札を出た.改札まで辿り着けばスムーズに出ることが出来た.
駅舎中央の人だかりが出来ている奥にICカード専用の精算改札がある.
言わずともおわかりだろうが,ICカードを使って来ることはおすすめしない.駅から出るのだけで一苦労である.
降りたホームからは,線路をまたいで改札に向かう.
改札を出て,まず駅前の観光案内所で情報収集をすることにした.
いつものことながら,何も予定を立てていなかったからだ.
行き当たりばったりの旅も面白いものだが,こうも毎回だと流石に考えようである.
幸い,駅周辺には徒歩圏内の観光地が点在していた.
まずは観光客の流れに沿って,宝登山神社を目指すことにした.
緩やかな坂を登る.
飲食店が並ぶ参道で,活気も伝わってくる.喫茶店が思いの外多かったのが印象的だった.
10分ほど歩いて宝登山の麓に到着.
参拝.
秩父神社,三峯神社とともに秩父三社として数えられているらしい.
秩父神社は何度か訪れたことがあるので,あとは三峯神社だけになる.
アクセスが難点であるが,パワースポットとして有名な三峯神社.いつか行こう.いつか.
山麓なだけあって,傾斜が激しい.
ちょっと外れると,人気も少なくなり,神秘的な光景に出会えた.
駅に戻る.
そろそろお昼にでもしようかと思ったのだが,ふと,あることを思い出す.
SLパレオエクスプレス.
まだ定刻より時間はあるが,空腹を我慢して,見物に行くことにした.
だいぶ待った.諦めてご飯を食べに行こうかと思ったところで,ようやく来てくれた.
至近距離で走る蒸気機関車は初めてだ.鼓膜が破れるかと思うぐらいの轟音と汽笛だった.
見物が終わり,いよいよ空腹を満たすときだ.
お昼ご飯はこちらで頂いた.
ざるうどん.写真を取るのを忘れた.美味しかった.
お腹も満たされ,再び動く気になったところ.
長瀞駅を横目に,踏切を渡り,岩畳を目指す途中にある岩畳通り.
長瀞の中で最も賑わっている通りだった.
何かお土産を買おうとも思ったが,持って歩くのも面倒なのでやめた.
そのまま通りを突き進む.
急に視界がひらけた.
おお,すごい.長瀞渓谷.
荒川を俯瞰し,目下には岩畳が連なる.
紅葉も若干時期はずれているが,それでも綺麗.
そしてすごい観光客の数.ライン下りの列もある.
ひとまず荒川沿いに岩畳を突き進む.
この大自然のなか,岩畳を進む人の流れができていたのにちょっと笑ってしまった.
ここら一帯は,長瀞玉淀自然公園に含まれている.
しばらく歩いていたのだが,一向に先が見えない.
かなり長い距離を歩けるらしい.
時々,ライン下りの舟が通り,風景が動く.
岩畳を1時間ほど歩いて,上長瀞駅の近くまでやってきた.
岩畳を突き進むと月の石もみじ公園に出る.上長瀞駅からほど近い.
紅葉の季節ということでライトアップなどの催しが行われているらしい.
この時はまだ日が出ていたので紅葉を見るだけとなった.
近くには埼玉県立自然の博物館があり,休憩がてら入館.
埼玉県立自然の博物館は,秩父を地学的に学べる施設.
以前,ブラタモリで長瀞編を放送していたのを見たので,中々面白かった.
秩父一帯が海に覆われていた時代をわかりやすく知ることができた.
博物館を出た頃には日も傾き始めていた.
せっかくのライトアップも見たかったのだが,それまではちょっと時間が空きすぎるので,上長瀞から列車に乗り,移動することにした.
「え?ライン下りは?」という声も聞こえてきそうである.
しかし,今回ライン下りはしなかった.またの機会に.
ちなみに,これより写真を殆ど撮っておらず,文章がメインになる.ご了承いただきたい.
上長瀞駅に着いた頃,ちょうどSLパレオエクスプレスが再び姿を表した.
今度は熊谷行きらしい.颯爽と過ぎ去っていった.
この時乗った列車は,行きの池袋発,長瀞行き直通列車の上り,長瀞発,池袋行きだった.
上りは,15時22分と,16時25分に長瀞を出る.乗車したのは15時22分の列車だった.
秩父駅と聞くと,西武秩父駅とほど近いところにあるような駅だと思われがちであるが,全く違う.
前記事で説明したとおり,西武秩父駅の秩父鉄道の最寄りは御花畑駅であり,秩父鉄道秩父駅は御花畑駅から長瀞方面に一駅先の駅である.
この2つの駅を徒歩で歩くとすると,20分ほどかかると思われる.注意されたし.
秩父駅で下車した理由は1つ.
武甲酒造で地酒を購入するためである.
武甲正宗の純米酒を購入.今夜が楽しみである.
さて,おみやげも買い,時刻は17時になろうかという頃.
せっかくなので,秩父神社にもお参りしていこうと思い,秩父駅に戻り,それから線路沿いに歩くことにした.
何度か訪れているため,記憶を頼りに向かった.
程無くして到着.お参りをする.
いよいよ辺りは暗くなり,歩くのも疲れてきた.
旅と言ったら締めは温泉.
いろいろ調べて,ちょっと遠いが横瀬駅から徒歩10分のところにある武甲温泉に行くことに決めた.
せっかくフリーきっぷを買ったのに,あまり使っていないのはこの際もう問題ではない.
西武秩父駅から秩父駅一帯は人通りも多く,街灯もあり明るかったのだが,一駅となりに来るだけで,街頭も一気に少なくなり,人気は失せる.
真っ暗な道を歩くこと10分ちょっと,武甲温泉に到着.
1時間ほどお湯に浸かり,疲れを癒やした.
湯船の中で,あと残り少ない予定を立てる.
時刻は18時半あたりか.
終電は,自宅の西武線の最寄りで降りればいいわけだから,かなり遅くまである.
ご飯は何処で食べようか.
などと考え,結局.
戻ってきた.
横瀬駅に向かう際,西武秩父駅の駅舎が新しくなっていることに気づいた.
駅舎には飲食店がいくつか入っていて,そこで夕食をいただこうという考えに至った.
ついでにお酒も飲もうと企む.
食事とお酒を頂いた.
お酒は,秩父の地酒代表,「武甲正宗」と「秩父錦」の二銘柄に,今回が初めて飲む「小次郎」(こちらも地酒)と,期間限定で宮城のお酒「天井夢幻」の飲み比べセットを頂いた.
なぜ宮城なのかという疑問も沸かずに頂いた.飲んだ.
ごちそうさまでした.
あとはもう帰るだけである.店を出てすぐの改札から飯能行きに乗り,飯能で池袋行きに乗り換え,帰宅した.
最後はグダグダになってしまったが,以上で長瀞紅葉おさんぽきっぷを使った日帰り旅行はおしまい.
久しぶりに歩いた1日だった.
1つ心残りなのが,秩父鉄道の車両に一度も乗らなかったことだ.
旧東急の車両などに乗ってみたかったが,これもまたの機会に譲ることにしよう.
紅葉の時期からはだいぶ経ってしまったが,前記事の冒頭に書いた「秩父フリーきっぷ」を使って,秩父,長瀞,そして今回は訪れなかったが三峰に旅してはいかがだろうか.
以上.
”2017秋 長瀞紅葉おさんぽきっぷ” -池袋から長瀞へ-
西武線沿線から芦ヶ久保駅までの往復に加え,芦ヶ久保駅から西武秩父駅までと,秩父鉄道線御花畑駅から長瀞駅までの区間が乗り降り自由となる期間限定きっぷだ.
期間は10月28日から11月30日まで.価格は発駅に依るが,池袋駅からなら,2000円.
西武線沿線に住んでいながら,長瀞には一度も足を踏み入れたことがなく,せっかくなので今回,このきっぷを使ってみた.
有効期限はもう過ぎているが,平気で本記事でまとめてみる.
(実を言うと,2000円にちょっと足すだけでフリー区間が三峰口駅まで伸び,対象施設が割引になる”秩父フリーきっぷ”が通年発売されているのでそっちのほうが使い勝手は…多分いい.本記事はその参考がてらに…)
11月19日午前7時半,池袋駅.
前述の通り,私の自宅は西武池袋線沿線なわけだが,わざわざ朝早く起きて一度池袋駅まで逆戻りをする.その理由は今から説明する.
まず,この路線の運行形態について.
西武池袋線は,名称上は東京都豊島区池袋駅から,埼玉県飯能市吾野駅までである.
しかし,運行上は途中の飯能駅で分離される.
飯能駅からは吾野駅を経由し,西武秩父駅までの西武秩父線に直通するかたちで,
「池袋駅-飯能駅」と「飯能駅-西武秩父駅」という分離した運行形態を取っている.
このため,池袋駅と西武秩父駅を一本で繋ぐ特急を除くと,基本的に池袋駅から西武秩父駅に向かう際は飯能駅で乗り換えをしなければならない.
一旦話を戻して,今回の目的地は長瀞である.
長瀞駅に向かう場合,西武秩父線西武秩父駅から秩父鉄道に乗り換える方法と,JR高崎線熊谷駅から秩父鉄道に乗り換える方法が存在する.
どちらも都心からのアクセスは可能だが,西武池袋線沿線住民にとっては前者を選ぶのが自然だ.
この場合,通常は終点の西武秩父駅で下車し,一度ホームを出てから,徒歩で秩父鉄道御花畑駅に向かい,長瀞駅方面の列車に乗る必要がある.
この,西武秩父駅と御花畑駅の間は,徒歩圏内なものの,それでも若干離れているため中々めんどくさい.
・特急を使わない場合,飯能駅での乗り換え
という2点が問題として挙げられる.
ここまで十分に説明したからには,もう薄々お気づきではないかと思うが,それらの問題を解消する列車が存在する.
土休日の7時5分と8時5分,池袋発,長瀞・三峰口行きの快速急行列車である.
4両+4両の8両で池袋を出発し,途中,西武秩父駅一駅手前の横瀬駅にて,4両は長瀞行きに,あと4両は三峰口行きに分離される.
分離後に横瀬駅を出ると,長瀞行きは御花畑駅に,三峰口行きは西武秩父駅に停車し,それぞれ別方向へ舵を切る.
なお,西武池袋線内は急行として,西武秩父線,秩父鉄道線内は各停として運用される.
この列車は観光列車としての側面が強く,列車はボックスシートの4000系が充てられる.
西武池袋線,西武秩父線,そして秩父鉄道を直通するこの列車は,非常に使い勝手が良く,特急よりこちらを選ぶメリットが多いように感じられる.
時を戻して,日曜の池袋駅.
7時5分の列車には乗らず(若干寝るのが遅かった),1時間後の8時5分の列車に乗ることにした.
一度改札を出て,長瀞紅葉おさんぽきっぷを券売機で購入し,そのきっぷで改札を通る.
乗車時間は2時間ちょっと.改札内の売店で食料を買い込む.
ホームへ向かうと,既に多くの人がホームで列車を待っていて,中々人気の列車だということを知る.
座れるかなぁ,と不安に思いながら列車を待ち,8時ちょっと過ぎに入線してきた.
池袋でこの白い車体を見ること自体殆どなかったので,中々テンションが上がる.
無事,窓側の座席を確保できた.
重装備の登山姿の乗客もちらほらあり,多くは軽装のハイキング客.
車内は8割ぐらいの着席率といったところか.
間もなく発車し,途中駅にはほとんど止まらず,西武池袋線内を駆け抜ける.
石神井公園駅やひばりが丘駅で降りる姿もあり,普段使いとして利用する人もいることに気づく.
横瀬駅では長時間停車.切り離しのためである.
向かいのホームには40000系が停車していた.こちらの車両の10倍だ.
さて,いよいよ秩父鉄道線内に突入する.
横目に西武秩父駅を見つつ,通り過ぎるのはなんとなく快感だ.
分離した三峰口行きに思いを馳せる.
乗客はほとんど降りず,このまま長瀞まで共にするのだろうか.この列車の存在意義が十分あることを再確認した.
と思ったら,長瀞駅の一駅手前,上長瀞駅で半分ぐらいが降りてしまった.
あとで知ったことなのだが,あの有名なライン下りにはここで降りても行けるらしい.
終点長瀞駅に到着した.
疲れたので,後の様子はまた別記事にて.
このあとは,宝登山神社を観光したりSLを見物する.他にもいろいろ.
以上.それでは.
(青森帰省の記事も最後まで書けておらず,申し訳ないです.時間見つけていつか書き遂げます)
上野駅-青森駅間鈍行同日着ルート考察 -常磐線竜田駅-富岡駅間運転再開による変化-
2017年11月7日 追記:ごめんなさい。下りの仙山線経由を忘れていました。付け足しておきます。
2011年3月11日の東日本大震災で、常磐線は大きな被害を受け、現在も少しずつ復旧作業が行われている。今回の運転再開もその1つである。*1
しかし、未だ富岡駅-浪江駅間は不通となっており、現在も代行バスでの輸送が行われている。
一刻も早い、常磐線全線の営業再開が待ち望まれている。
今回、運転が再開された竜田-富岡間も、不通だった時期は、代行バスを使って、駅と駅を繋いでいた。
竜田から富岡はたった1駅。
実は、この1駅間の運転が再開されたおかげで、常磐線を乗り継いで行く、青春18きっぷを使った東京-青森間の同日着が可能になった。
とは言っても、そもそも、殆どの人は鈍行で東京-青森間を移動しようなんて思わないだろう。
さらに、仮に鈍行で移動するにしても、常磐線を経由しないで行けるルートも存在するので、正直、18きっぷを使うことに対してはメリットはほぼない。
事実として、常磐線を経由して、1日で移動できるというだけ。
2017年11月7日現在、東京-青森を同日着で移動できるルートを以下にまとめる。
なお、青森-八戸-盛岡経由である、青い森鉄道線とIGRいわて銀河鉄道線(旧東北本線)を用いたルートは、掲載しないこととする(青春18きっぷに加え、3000円以上の別途運賃が必要になるため)。しかし、ショートカットとして利用するのも一つの手である。参考にされたし。
下り(上野→青森)
- 高崎・上越・信越・白新・羽越・奥羽経由
上野 0513 → (高崎線) → 高崎 0655
高崎 0712 → (上越線) → 水上 0817
水上 0824 → (上越線) → 長岡 1020
長岡 1027 → (信越本線) → 新潟 1127
新潟 1143 → (白新線) → 村上 1257
村上 1331 → (羽越本線) → 酒田 1556
酒田 1630 → (羽越本線) → 秋田 1819
秋田 1831 → (奥羽本線) → 大館 2002
大館 2120 → (奥羽本線) → 青森 2250 - 東北・花輪・奥羽経由
上野 0510 → (宇都宮線) → 宇都宮 0651
宇都宮 0659 → (宇都宮線) → 黒磯 0749
黒磯 0754 → (東北本線) → 新白河 0818
新白河 0821 → (東北本線) → 郡山 0903
郡山 0925 → (東北本線) → 福島 1011
福島 1040 → (東北本線) → 仙台 1156
仙台 1245 → (東北本線) → 小牛田 1330
小牛田 1343 → (東北本線) → 一ノ関 1429
一ノ関 1443 → (東北本線) → 盛岡 1611
盛岡 1803 → (IGRいわて銀河鉄道線※/花輪線) → 大館 2052
大館 2120 → (奥羽本線) → 青森 2250 - 東北・仙山・奥羽経由
上野 0510 → (宇都宮線) → 宇都宮 0651
宇都宮 0659 → (宇都宮線) → 黒磯 0749
黒磯 0754 → (東北本線) → 新白河 0818
新白河 0821 → (東北本線) → 郡山 0903
郡山 0925 → (東北本線) → 福島 1011
福島 1040 → (東北本線) → 仙台 1156
仙台 1211 → (仙山線) → 羽前千歳 1326
羽前千歳 1339 → (奥羽本線) → 新庄 1442
新庄 1538 → (奥羽本線) → 秋田 1811
秋田 1831 → (奥羽本線) → 大館 2002
大館 2120 → (奥羽本線) → 青森 2250 - 常磐・東北・花輪・奥羽経由(NEW)
上野 0510 → (常磐線) → 水戸 0658
水戸 0718 → (常磐線) → 富岡 1000
富岡 1015 → (常磐線代行バス) → 原ノ町 1125
原ノ町 1150 → (常磐線) → 仙台 1210
仙台 1331 → (東北本線) → 小牛田 1416
小牛田 1451 → (東北本線) → 一ノ関 1539
一ノ関 1546 → (東北本線) → 盛岡 1716
盛岡 1803 → (IGRいわて銀河鉄道線※/花輪線) → 大館 2052
大館 2120 → (奥羽本線) → 青森 2250
上り(青森→上野)
- 奥羽・東北経由
青森 0542 → (奥羽本線) → 弘前 0622
弘前 0626 → (奥羽本線) → 秋田 0839
秋田 1015 → (奥羽本線) → 新庄 1256
新庄 1418 → (奥羽本線) → 山形 1532
山形 1532 → (奥羽本線) → 米沢 1717
米沢 1744 → (奥羽本線) → 福島 1830
福島 1850 → (東北本線) → 新白河 2023
新白河 2026 → (東北本線) → 黒磯 2050
黒磯 2056 → (宇都宮線) → 宇都宮 2148
宇都宮 2150 → (宇都宮線) → 上野 2338 - 奥羽・北上・東北経由
青森 0542 → (奥羽本線) → 弘前 0622
弘前 0626 → (奥羽本線) → 秋田 0839
秋田 0912 → (奥羽本線) → 横手 1028
横手 1043 → (北上線) → 一ノ関 1254
一ノ関 1354 → (東北本線) → 小牛田 1441
小牛田 1453 → (東北本線) → 仙台 1540
仙台 1606 → (東北本線) → 福島 1720
福島 1724 → (東北本線) → 新白河 1903
新白河 1918 → (東北本線) → 黒磯 1941
黒磯 1951 → (宇都宮線) → 宇都宮 2042
宇都宮 2049 → (宇都宮線) → 上野 2232 - 奥羽・花輪・東北経由
青森 0704 → (奥羽本線) → 大館 0837
大館 0917 → (花輪線/IGRいわて銀河鉄道線※) → 盛岡 1215
盛岡 1308 → (東北本線) → 一ノ関 1438
一ノ関 1441 → (東北本線) → 小牛田 1528
小牛田 1542 → (東北本線) → 仙台 1630
仙台 1701 → (東北本線) → 福島 1822
福島 1850 → (東北本線) → 新白河 2023
新白河 2026 → (東北本線) → 黒磯 2050
黒磯 2056 → (宇都宮線) → 宇都宮 2148
宇都宮 2150 → (宇都宮線) → 上野 2338 - 奥羽・北上・東北・常磐経由(NEW)
青森 0542 → (奥羽本線) → 弘前 0622
弘前 0626 → (奥羽本線) → 秋田 0839
秋田 0912 → (奥羽本線) → 横手 1028
横手 1043 → (北上線) → 一ノ関 1254
一ノ関 1354 → (東北本線) → 小牛田 1441
小牛田 1453 → (東北本線) → 仙台 1540
仙台 1617 → (常磐線) → 原ノ町 1741
原ノ町 1833 → (常磐線) → 浪江 1852
浪江 1915 → (常磐線代行バス) → 富岡 1945
富岡 2009 → (常磐線) → いわき 2048
いわき 2052 → (常磐線) → 日立 2150
日立 2208 → (常磐線) → 取手 2350
取手 2355 → (常磐線) → 上野 0036 - 奥羽・花輪・東北・常磐経由(NEW)
青森 0704 → (奥羽本線) → 大館 0837
大館 0917 → (花輪線/IGRいわて銀河鉄道線※) → 盛岡 1215
盛岡 1308 → (東北本線) → 一ノ関 1438
一ノ関 1441 → (東北本線) → 小牛田 1528
小牛田 1542 → (東北本線) → 仙台 1630
仙台 1655 → (常磐線) → 原ノ町 1820
原ノ町 1833 → (常磐線) → 浪江 1852
浪江 1915 → (常磐線代行バス) → 富岡 1945
富岡 2009 → (常磐線) → いわき 2048
いわき 2052 → (常磐線) → 日立 2150
日立 2208 → (常磐線) → 取手 2350
取手 2355 → (常磐線) → 上野 0036
※IGRいわて銀河鉄道線内である盛岡駅-好摩駅間は別途運賃(650円)が必要。
これを見ると、上野-仙台間は東北本線、常磐線どちらの経路を選んでも仙台から、もしくは仙台までのダイヤに変更は見られないことがわかった。
(追記)↑上り仙山線経由のみ、仙台において乗り継ぎ時間1分のため、常磐線の経由は不可能でした。
また、10月14日に行われたダイヤ改正による黒磯-郡山間における新白河駅での輸送体系の変更は、この同日着ルートには影響を及ぼさないことがわかった。
黒磯-福島間のロングシート地獄もe531系0番代の導入によって一部セミクロス車に置き換えられ快適性も増した。宇都宮-黒磯間のロングシートはそのままだが。
今年の冬はおそらく新幹線で青森に行くことになるとは思うが、それ以降、機会があったら、18きっぷを使って、常磐線経由で青森へ行ってみたいと思う。
以上。
青森 2017夏 -3日目 八甲田丸-
青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、東北本線及び奥羽本線の終点である青森駅と、津軽海峡を隔てた北海道、函館本線の起点である函館駅とを結んでいた鉄道連絡船。鉄道国有化直後の国鉄により開設され、国鉄分割民営化後、間もなく開業した青函トンネルにその役割を譲って終航した。
八甲田丸は、そんな青函連絡船としての役目を終え、海上博物館として利用され、保存されている、"青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸"である。
八甲田丸は今もなお海に浮いている。船舶検査を受けるため、1年に1度休館する、立派な船である(動きはしないが)。
私が生まれる前から、青森駅、青森ベイブリッジ、アスパムなどとともに存在している施設だ。
青森駅にほど近い岸壁に鎮座する黄色と白の巨大な船体のそれは、物心ついた時から知っている。
時々聞こえてくる、時代錯誤な鈍く低く響く汽笛もまた、八甲田丸という存在を際立たせる。
青森駅に降り立つと、それは駅に行くと列車を見れるような、そんな当たり前の事象のように、八甲田丸はいつもそこにいた。
ただ、その外観は目に焼き付いているが、その中身についての記憶はいっさいなかった。
私はあまり幼いころの思い出について記憶が良いほうではない。
しかし、青森という東京から何百キロも離れた、どちらかというと非日常的な光景のある土地のことはある程度覚えていた。
青森駅舎も、ねぶた祭も、三内丸山も、浅虫も、合浦公園も。函館のことも覚えている。
記憶がないってことはそんなに大したところじゃないんだろう。
8月16日、午後1時ちょっと前ぐらいの私はそんな心境で、八甲田丸に入船した。
船内で入場券を購入。順路通りに進む。
最初の展示では、人形によって青函航路が生きていた時代の人々が再現されていた。
それらをカメラに収めるのを忘れた。魚とか果物とかを売りさばく人々が列車や船を使っていたという説明だった。
このフロアは主に青函航路における背景についての説明であった。当時の人々の暮らしや品々を間近で見ることができ、歴史の苦手な私にもわかりやすかった。
その中でも個人的に魅かれたのがこれ。
青森駅を何時に出て、どの路線を経由してどこへ向かうか、が書いてある、ただそれだけ。
接続線名や、等級の記述など、見ていて飽きないのである。
青森発の東京行き列車なんて、かつての上野東京ラインを具現している。
今は亡き塩釜線や江差線の表記もある。
このような案内板が他にも数枚見受けられ、食い入るように見ていた。
他には、特急列車のような船内の座席がそのまま置いてあった。リクライニングもできた。
実際に使われていた案内板たちも展示されていた。
そのまま寝台列車に使えそうなものもある。
順路を先に進む。
甲板に、つまり外に出た。
非常に風が強く、危うく柵を超えて海に落とされそうなほどであった。
強風に対抗しながら、JNRマークが書かれている展望台に上がる。
ここでやっと、いつも眺めていた八甲田丸に乗っているということを実感した。
素晴らしい開放感に浸ることができた。風が強くなければよかったなぁ。
一通り甲板を一周し、再び船内に戻った。
エレベーターで1階まで降下する。
1階と言っても、地上の1階とはわけが違う。ここは海の上、さらには青函連絡船である。
そう、青函連絡船は列車(主に貨車)を積み込む船である。
そのための連結器があった。
そして。
貨車があった。
これは荷物室と郵便室の両方を備えた郵便車。
なんと、ディーゼルカーである。旅客車両までもが積まれていた。
そう、1階は車両甲板、貨車や気動車が所狭しと展示してあった。
他にも。
鉄道は好きだが知識は乏しい私でも、それぞれに解説が添えてあり、勉強になった。
そもそも、ここにある車両すべて初めてお目にかかるものばかりであった。
そのどれもが現在では貴重な車両であるのは言うまでもない。
今は固く閉ざされているが、当時はこれを開いて列車を出し入れしていたという。
この線路は、前記事の画像に続いているものと思われる。
さて、順路を追おう。
今度はさらに降下して、地下1階。
ここには、エンジンルームがあった。
この先には。
私は理系であっても機械系ではないので全くよくわからないが、これが動力らしい。
とても重厚でメカニカルな一昔前の技術、といったような風貌であった。
こんな部屋がいくつも続いているのである。
船が動くとなると、これらが一斉に動き出すわけであるから、当時は熱気が半端ではなかったということが予想できる。
船内の展示は以上であった。
所要時間としては1時間半程度。後の予定に合わせて若干早めに動いたため、じっくり見るとなると、さらに時間がかかりそうだ。
北海道新幹線が青函トンネルによって新函館北斗まで開通してから1年半が経った。
ほんの少し前までは、そこを在来線が駆け抜けていた。
鉄道ファンにとって、その時代に本州と北海道を結んでいた寝台列車の思い入れは強い。
その寝台列車までもが存在しなかった時代。
遠い遠い昔のことではあるが、青函トンネルすらなかった時代を、その時代から見つめてきたこの船に乗れば体感することができる。
非常に貴重な博物館だ、八甲田丸。
八甲田丸を降りてからは、ワラッセに向かうことにした。
その様子は次項で。
以上。